○昨日の帰路、「乃木坂」駅で下車し、国立新美術館に寄り道した。毎年この時期に開催される「たぶろう展」を覗くために。
この三年、律儀に顔を出している。この展覧会の主催者–会長(Nam)が私の高校時代・合唱部の「仲間」で「招待券」が届くからだ。
今年は直に遠くへ出掛けるので迷ったが、この日は東京でのご用でもあり、「ミニ同窓会」の気分で「仲間」二人に声をかけた(メール)。Shuちゃんからこの朝メールに気付いて行けるとの返信があり会場で三人顔を揃えた。
Namくんとはこの3年会っているが、Shuちゃんとは約50年ぶりの再会。わかるかなと心配したけれど「ライフ・ラインで会っているからすぐわかった」と言われた。元気そうで良かった。今もいくつかの合唱隊の指導をしているとのこと。。。今、彼/彼女はどうしているか、Shuちゃんが「仲間たち」のことを教えてくれた。
追記:NamくんもShuちゃんも「ライフ・ライン」を観てくれていている−嬉しいな。
「しっかり励めよ」との声が聞こえる。
仲間の一人「そねちゃん」が6、7年前に亡くなった時、私はご用があり葬式に顔を出せなかった。その時以来–それまで思い出すことすらほとんどなかった–「仲間たち」のことが時折心に過る。
今回のNamくんの作品は「神宿る樹」という題が付いていたが、光と影がいい感じで、神秘的な雰囲気の大樹をていねいに描いていた。50の頃伴侶を送り苦労を重ねて来たShuちゃんの話を聞きながら、ああ、この大樹は私たち–仲間たちのもう一つの姿/顔なのだと思った。
「年輪を重ね節くれ立っているが生きている、確かに生きている!」
だがもう一つの「問い」が聞こえる。
「お前には、次の時代/世代へ繋ぐ"いのち"が、力強く流れているか?
お前の姿/顔から"永遠への想い"が溢れ出ているか?」
伝道者の書 3-11
神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。
しかし人は、神が行うみわざの始まりから終わりまでを見極めることができない。
ではシャローム!
神の旅人より
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