「牧者職と灯台守」(2)

*私の中での「牧者職」はあの「灯台守」と似ている。

 牧師館で生活していた時代には「灯台守」を自分に重ねることはなかったが・・・。

 だが、振り返ってみれば、あの歌詞と似た生活を送っていた。「世の光-キリスト」をその街で日夜灯すことが大きな使命という点で。

 

 私が神学校を卒業して最初の赴任先(東京の教会)は、小さな商店屋の二階を間借りした「集会所」で(川崎のある信者さんの所有)、礼拝、宣教活動をしていた。別の場所の4.5畳一間トイレ付、共同シャワーの学生用アパートを教会が借り、そこに私は住んだ(時折、電車の乗って風呂屋に通った)。その年の秋に結婚し風呂付き二部屋のアパートに移った。その時から「二人生活-家族生活」が始まった。もちろん、毎日「出勤」した。

数年後、「教会堂」建築が実現し、約一年間、独立した2階の「牧師館」で「新しい生活」を楽しんだ。

 それから横浜の教会に招かれた。教会堂と同じ出入口の2階居住空間(牧師館と言う感じがしない-主日は教会の働きに開放)は、どこか東京でのアパート生活に似ていた。今想えば、いつも乳幼児ともにあり、信者さんたちにいろいろな音や臭いで迷惑をかけたのではなかったろうか。

 

 それから数年後、聖霊の働きと信者さんたちの献身により「伝道」は前進し、不思議な導きにより、新天地に「新教会堂」を奉献させていただいた。

ここは****駅からそう遠くない丘の上にあり、敷地は約440坪(当初は320坪)、礼拝堂、教育館、納骨堂も備えられた。そして同じ敷地内に別棟で牧師館(居住空間も広い)が建っている(1階は小礼拝室、集会室)。

 

 東に日の出、西に富士山を眺める、別世界だ。

そこで毎日私に語りかけるキリストの声に耳を傾け、祈ることが「日課」だった-「出勤」という感覚より-。次の「みことば」が文字通りだった。

「あなたがたは世の光です。山の上にある町は隠れることができません。」(マタイ5-14)

 

 今日はこの辺で、シャローム!

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