in 山梨-昭和町(3)

●昨日は、山梨-昭和町キリスト教会の礼拝説教のご用をさせていただきました。

これで三回目のご用でしたが、落ち着いた良い雰囲気の教会です。4月から牧師不在ですがメンバー皆さんで支え合っています。

今回は妻も同行しました。そのため車で行きました。朝6:20発。途中八王子付近で渋滞がありましたが、ナビが迂回路を示したのでそれに従い、9:10過ぎには着きました。

 

*この暑さの中、「ちらし」を配布されたとの事です。今回は新来者の方はいらっしゃいませんでしたが、根気よく続けて行かれるそうです。私の小さな経験ではかならず主は送って下さるでしょう。

 

*それにしても昼食時の「歴男」(「歴女」の向こうを張って)の元気はつらつな姿が楽しかったですね。

奥様方が食事の持てなし得押して下さっている間中、話題は途切れませんでしたね。

特に、山梨と静岡の接点が「富士川」という点は興味深かったですね。しかも、横浜(港)とは「シルクロード」だったわけです。日本の「生糸−絹産業」が見事につながりました。そして私の興味はそこに着眼した明治時代にやって来た宣教師がたの行動と結びついた事でした。

 

*まだ私たちの教会堂が二俣川にあって「いずみ野線に伝道を!」と意気込み、緑園都市周辺にもトラクトを配っていた頃知ったのが、明治期、日本での宣教では教派にかたよらない「無教派主義」を唱え、日本基督公会横浜公会(今の横浜海岸教会)を設立し、宣教のご用に当たったJ.H.バラ宣教師が「阿久和」に来て伝道し、そこに伝道所を生み出し「阿久和教会」として歩んでいたという事でした。泉区の「中丸家」の「門」にはその足跡が遺されています。

「阿久和教会( 中丸家)」は現在の緑園都市にある教会堂の真下筋にあたります。これも奇しき歴史の結びつきですね。

「阿久和」地区一帯は、現在は「瀬谷区」になりますが、その昔は「泉区」同様、「戸塚区」でした。

ここは所謂「かまくらみち」が走り、まさに「シルクロード」の「横浜港」に通じていた訳です。

 

●こんなところで、昨日の「山梨−昭和町」と通じていたわけです。

それにしても、当時の宣教師の伝道範囲は、神奈川、東京、御殿場、伊豆、長野まで残されている訳です。「シルクロード」こそ、「宣教の道」だと見通していたのでしょう。

これこそ、「使徒パウロ」の宣教の旅と同じように、「文化交流の要所となる道」を選んでいたという事でしょう。

歴史を学ぶ事で、今の私たちの行動を点検できると思います。

 

あと、「昭和町」の女子が話題に入りやすいように、当時のファッションとか、食べ物について・・・Ho兄、Shim兄、S兄、Mo兄...次回はお聞かせ下さいね?

 

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