♫ 御名があがめられますように!(2)

・長い間、私たちは聖なる神様を讃美することを知らないできました。

 

  それはあのアウグスティヌスの告白/祈りにあるように、「罪」の結果です。

  「罪」とは「的外れ」から来ている言葉です。

   どんなに力一杯に矢を放っても的を射ることができないのです。矢自体がねじ曲がってしまっているからです。つまり、私たちは罪によって神様との関係が壊れてしまっているのです。

 

・ある神学者の言葉を借りますと、「罪とは、私たちが歌う調子外れの歌」なのです。

 神様を讃美するように私たちはつくられたのですが、私たちは自分勝手な道に進み、神様の壮大なシンフォニーを奏でるはずの歌が歌えないのです。

 

・キリストが「こう祈りなさい」と教えて下さった「御名があがめられますように」という「主の祈り」は、再び神様の壮大なシンフォニーを奏でる歌を習うことに他なりません。

 その意味で、「救い」というのは、「歌を忘れたカナリヤ」が再び歌えるようになることなのです。イエス・キリストの十字架が私たちを再び歌えるように回復させてくださるのです。

 

 そういえば、童謡「歌を忘れたカナリヤ」は、作詞者・西條八十が幼い頃、教会堂で一つだけ消えていた電球に自分を重ねて書いたと言いますね。歌え、輝け!